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ワイヤーアートのロータスフィート
 

 

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ケトベツファーム ストーリー

第10部

 

このはなしは事実に基づいて書かれても、いる

 

  それから、ずうーっと何十年もたってから「軽便鉄道」という小さな写真入りの本を、多摩の野猿街道沿いの、古本屋で見つけた。
以前、に買った折り紙の本の、シリーズだ。
 これによると、ボクが、乗ったチビスケ列車は、簡易軌道といって軽便鉄道の仲間にも入れてもらえない、ワンランク下の交通機関であったらしい。
始めのころは、馬で轢いていた。
馬鉄という名前は聞いたことがあった。
古道具屋街での年寄り連中の自慢話の中に出てくる。
その頃は、「国営で、植民軌道と称して内務省の管轄下にあった」とある。

 植民軌道だって? やっぱりこのデカイ島は、日本の植民地だったんだ。
その昔、この島に来た大方の人達は、一旗揚げて内地に引きあげるつもりで来たんだろう。
北へ行くほど厳しい気候だ、開拓民等以外があまり、この島に、永住するつもりなど無かったのだろう。
マサヤネという、経木を三四枚分ぐらい厚くした板で葺いた屋根が古びて、厳しい風景を余計に惨めな色に変える。
近くの、ナカトンベツでは砂金が採れた、ホッタテ小屋を建て、山に入って砂金採ったらしい、砂金にハマッタ人達はアラスカまで、行った人がいるらしい。
これも古道具屋街のジイサン情報だ。
此処の情報は面白い、「オメー!!あすこに居たのか? よーく生きてたな!!」
カラフトで、タコ部屋から、脱走した人と、当時その近くに住んでいた人が、昔話をしながら鉢合わせしたりする。
チビスケ鉄道は戦争でメリケンに敗けた後、農林省の補助を受け、ウタノボリ町営で運営されていた。
「主として道北、道南の道路が不備な開拓地に施設され・・・・道路が整備され・・1970年から補助金がキャンセル、1971年廃止」と書かれてあった。
あるとき、吉祥寺のデパートの、ガラスのケースの中に、可愛らしいNゲージを発見!!
カトーのチビコロセットを、買ったのもこの頃の体験から、来ているのだろう。
ジュンジイとトロッコで渡ったケトベツリバーの鉄橋の橋げたの写真を、見る事が出来た。
 鉄橋って云ったって、ただの線路が小さな川を、渡っただけの事で、鉄道マニアは、あんなの鉄橋とは云わないだろう。
 図書館の資料室で見つけた雑誌に、あのトンネルの中の古い1920年代の写真が載っていた。
トンネルには、木製の枠が写っている。
ケトベツのトンネルは、全長が396mあったのだ。
 それに新しい写真には、コンクリートのトンネルの上に十字架が刻まれている、これは何を意味しているのだろう、供養のためか?
片側の出口は閉じられ、線路は取り除かれて中は湿地状態だ、と書いてあった。
 まだ彼等は、中に閉じ込められているのだろうか?
寒くて湿気た、空気の動かない暗闇、永遠の閉塞感、出口の無いトンネル。
トンネルの恐怖は、暗闇ではない、彼等の身に起きた不幸な、出来事だったのだ。


 

 

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